「マインドフルネスの会」・・楽しい準備!26日日曜日、建築の新しい教室で、初めての「マインドフルネスの会」(準備段階)ミーテイングが講師間で開かれました。オックスフォードで習ったマインドフルネスの懐かしいマーク ウイリアムズ先生の本とCDスクリプトから勉強会を開き、その効果が皆に良く体感出来ました。次回は3月19日と決まりました。教室は芦屋の西の端で、隣は神戸です。その周りは未だ外構が工事中ですが、春には出来てきますからご期待下さい。26Feb2017
不自由さの中からでも、アートセラピー!不自由さを抱えた皆様に毎月アートセラピーを体験していただいています。2月16日は、寒い中に春を呼び込む気持ちで、蝶々を黄色の画用紙で作っていただきました。その上に絵を描き加えたり、シールを貼ったり、アート性の高いものになり驚きました。もちろん貼るところなどは手を借りたところもありますが、表情の中に動くものが見られました。笑顔が綺麗でした。有難うございました。19Feb2017
一期一会のマインドフルネス体験会準備中!マインドフルネス体験をお気軽にしていただく会を企画中です。英国式のマインドフルネスは、座禅道場のように辛いものではありません。自然体に戻していくことが体験できます。日々の暮らしに少し取りいれると、ストレスが低減され、豊かな時間を取り戻すことになるかもしれません。英国式と米国式の比較もして、やさしく身につくように工夫されます。会場は芦屋の西の端。教室Libraリベラ内、JR甲南山手駅徒歩3分ですが、このブログのトップページをご覧ください。19Feb2017
生涯学習センターコミスタ神戸ではー2月17日のマインドフルネスアートセラピー講座では、導入にマインドフルネスで感性を起こし集中力を喚起しました。次いで、生きものの成長力、生命力から触発されるように、各々の前に置かれたパンジーを見つめながら筆を持つと、「手が勝手に動き出すんです」等と声が聞かれました。描くうちに純粋になって、本当の気持ちが語られました。心の中が深いところから動き出し、その世界を投影されて、心の仕事が進み、まさにアートセラピーが進行しました。みるみるうちに作品群が出来上がりました。「切手を貼って送る」などとの楽しい声も聞かれました。18Feb2017
6➕1本の糸が織りなした布は・・・ 雨がちの2月17日に、垂水や鈴蘭台からもコミスタ神戸のマインドフルネスアートセラピー講座に参加いただきました。下は皆様の素晴らしい作品群です。滲み、ぼかし は癒しの要素と導入していますが、それが生まれるとき、皆様の歓声が上がりました。動きのマインドフルネスから入って、描く夢中を体験し、鑑賞し、最後にマインドフルネスで心を締めくくりました。6人➕1人を中島みゆきさんの歌の様に糸に例えると6本の糸になって、織りなした一枚の布はかけがえのない素敵なマインドフルな時のアートセラピーになりました。ご参加頂いた皆様、ありがとうございました。以下は皆様の作品の一部です。無記名ですから、よろしくお願いします。18Feb2017
17日、凛と!寒中M.B.アートセラピーで!寒い2月です。インフルエンザも流行っている時期に心だけは凛としましょう。気をつけていらっしゃってくださいね。M.B.A.Tは、お集まりいただいた方々のコラボです。寒中の花、どんなマインドフルネスアートセラピーが咲くでしょうか?違っている生モノです。マインドフルネスベーストアートセラピーで、心だけは暖かくしましょうね。16Feb2017
コミスタこうべで会いましょう!ご体験を!神戸市生涯学習支援センター(078-251-4731) で、マインドフルネスアートセラピー体験教室があります。今回は動きのマインドフルネスを導入に、アート表現を楽しみ、心身の変化を体験します。2月17日(金)13:30~15:30です。生涯を通して親しめる方法で、孤独な時も忙しい時も、楽しく深いこころの世界へアプローチする入り口です。是非御体感下さい。11Feb2017
バレンタインの創作チョコはアートセラピー?チョコを溶かして型に入れて・・心を溶かし込む間に、味覚も覚醒してくる。視覚だけでなく、味覚、臭覚、触覚などの五感が覚醒してくるチョコ作りは、マインドフルなアートセラピーの要素に重なる。06Feb2017
瞑想と心理療法東洋の瞑想が、西洋からの心理療法に用いられている。それが西洋発生のマインドフルネスで、呼吸や身体に意識を向ける事で瞑想を豊かに続けて行く。しかし、現行のマインドフルネスは誤解されて伝わっているところが見られる様に思われる。言葉では説明出来ないからで、奥深い醍醐味は、体験的なものにあるからだと思われる。06Feb2017
残されていた魂の叫び、慟哭の絵長谷川等伯は千利休・豊臣秀吉の時代の絵師であるが、この絵はこころの絵で、アートセラピーと思われる。1593年に息子久蔵が26歳で亡くなった。その悲しみを背負った等伯が、人からの依頼ではなく自分自身のために描いたとも言われている。02Feb2017